ハーフとしての人生の省察
- Marc 
- 2024年2月18日
- 読了時間: 13分
更新日:5月26日
はじめにハーフとしての人生の省察
ハーフの心内に、何が起こっているかを考えたことがありますか? ハーフが異なる文化に属することや、アイデンティティに関連する課題を、どのように処理しているかを考えたことがありますか?
個人的には、一国籍の、国際化されていなく、生まれ育った国にずっと住んでいる人たちを羨ましく思うことがあります。彼らには、僕にはない安定性があり、しっかりとした居場所があります。
自分の国家的、文化的アイデンティティがわからず、混乱した瞬間は数多かったです。自分がどの国に属し、今後どの国に属していくのかがわからないという疑問をよくだいていますし、生涯それが続くと思います。
アイデンティティを構築することは、多くの困難が伴う旅であったが、時が経つにつれて、ハーフでいることがもたらす多くの利点を味わえるようになりました。
この記事を書いた2024年、僕は自分自身と調和し、かつてないほど充実した人生を歩むことができるようになりました。
今日は、より深いテーマについて考えるための機会です。ハーフとしての人生の省察を通じて、異なる文化的背景からの学びや成長について深く探求してみませんか?
第1部:時間とともに気付いたこと
a) 単なる視点に過ぎない
この記事の下書きを作成し、自分の考えを列挙する中で、利点が欠点として認識されることもあれば、その逆もあることに気づきました。
例を挙げよう:
- ハーフでいることデメリット説: 
1. 変化は常にある = 二つの文化の“いいとこ取り”をしているからこそ、「隣の芝生は青い」感覚。変化の可能性は、深いコミットメントを欠くことを意味する。
2. 構築、再構築、構築、再構築 = 常に“文化スイッチ”を求められる感覚。場面によって思考も言葉も立ち居振る舞いも変える必要がある。疲れるサイクル。
3. 100%コミュニティに属していると感じることはない = どちらの国でも、フランス人としても、日本人としても、一体として受け入れられることはない。
- ハーフでいることメリット説: 
1. 変化は常にある = 目新しさは無限であり、好奇心は絶え間なく、退屈することはない。
2. 構築、再構築、構築、再構築 = 柔軟性と適応力が自然と磨かれていく。学びのサイクル
。
3. 100%コミュニティに属していると感じることはない = 変われる自由。
そのため、いわゆる有利不利はありません。認識の問題なのです。
b) 締め切りという概念
「今週が学生生活最後の週なんだな」、「休み明けまであと4日しかない」、また「あと2日後には海外大学に留学するんだ」とか、期間をいつもより重く感じたことはありませんか?
要するに、自分の日々を数え、疲れていようが、ずっと行きたかった場所に行く、または眠くても、そこで出会った人たちと最後のひとときを楽しむために、迷わずもう少し遅くまで起きているなど、残っている時間をフルに生きる感覚のことです。
期限は出発前にやりたかったこと/プロジェクトを終わらせるために必要なエネルギーを与えてくれたりします。
国際化すると、期限や新たなチャプターという概念に直面することが多くなります。逆に、30代に近づいたり、責任を持つ、子供が生まれたりすると、安定をありがたく思うようになるという意見もよく耳にします。
若いうちの不安定さは素晴らしい感覚です。定期的に環境が変わるので、常に刺激を受け、五感が強烈に反応します。新しい環境の要素を吸収し、移行する期間に慣れることができ、早く適応し、その環境でより楽しむことができるのです。
最後には、多くの場所を動き回ることから、落ち着いている瞬間をよりありがたく感じるようにもなります😪
c) 文化の異なる2人の両親からの教育
家庭では、2つの文化の習慣、価値観、ビジョンを融合させながら、それぞれの言語を使って、独自の教育を受けました。
また、兄弟姉妹と一緒に育ったことは素晴らしい経験でした。なぜなら自分たちのアイデンティティの課題を理解することができたからです。
同じく、国際経験を持つ人たちに囲まれたインターナショナルスクールに通うことは、僕にとって当たり前のことかと思い込んでいました。
英連邦出身や、僕と同じような混血のクラスメイトがいた日本の英語学校でも、ブラジル、スウェーデン、イタリア、中国などの友人がいたフランスのインターナショナル学校でも多様なコミュニティに身を置くことができました。

今思えば、自分の育った環境が幸運だったと思います。
幼い頃から多種多様な生き方に慣れ、違いを受け入れ、世界に対する好奇心を養っていたからです。
第2部:日々の長所
ハーフの人生は必然的に波乱万丈となります。テニスの試合に似ていて、ボールは一方の陣営に入り、もう一方の陣営に入るというように、僕は常に2つのルーツの間を行き来しています。
23年間生きてきて、僕はハーフのパターンに気づき始め、それらを大きな長所として見極めることをできました。僕はこれらの長所を2つに分けることにしました:
- 日々の長所 
- もう一方は、アイデンティティの構築に関するより深い長所です。 
なので日々の長所から始めましょう。
a) 新しい出会いは簡単
日本ではフランスの面をアピールし、フランスでは日本の面をアピールしています。要するに、常に人の関心を引く何かを持っているということです。
また、会話を始めるのは楽です。どのハーフも、以下のような典型的な質問を受けたことがあります:「父親なの?それとも母親?」、「そっちに家族はいるの?」、「どっちの国が好き?」、「言語は話せるの?」あるいは、「行ってみたいな〜」など。
さらに、同じような質問をされることが多いので、特別、目立つ、または適切な質問などは、より深く印象に残ります。
そのため、新しい出会いでコンタクトを築く際には、これらの質問を再利用できます。ずるくないですか😯?
b) 人と出会うことに慣れます
以前述べたように、日本の英語圏の幼稚園で育ちました。そこでは、外国人の子供たち、ハーフ、国際化された日本の子供たちと一緒に、四年間過ごしました。

そして、フランスでは国際学校に10年以上通い、30以上の異なる国籍の生徒たちと共に育ちました。
教育と並行して、僕は幼い頃から大人たちとバドミントンを練習していきました。さらに、フランス文化は元植民地時代の影響で、アフリカ、島々、東南アジアなどからの影響を受けています。また、フランスは移民が多く住む国でもあり、アフリカ、アジア、ヨーロッパなど、世界中から人々が集まり、多様な文化が共存しています。したがって、さまざまな社会的、民族的な背景を持つ人々と交流する機会が多かったのです。
ポイントは、相手が子供、教師、尊敬する人、年配者、恋人、または職場の環境にいる場合でも、幼い頃からてその人たちに対しての適応になれていたことです。
これによって現在、自分自身とは無関係なグループに関わることや、一人旅をしたり、異なる視点に興味を持ったりすることができるようになりました。
具体例:
日本での留学中、僕は迅速に大学の以下の3つのグループの人々と親交を深めました:現地の留学生、国際的な経験を持つ日本人学生、そして国際化にまだ慣れていない日本人学生たち。
大学の学生たちは、僕が短期間でこれほど多くの人と結びつき、大きいネットワークを構築している能力に驚いていました。
c) 一番重要な長点はこれです
自分に疑問が生じるとき、いつもこの言葉を頭の中で繰り返しています:
「全てをかけてみる。失うものは何もない。最悪の場合、二つ目の故郷で新たな人生を始めればいんだ」
実際、この考え方が日本に引っ越す勇気を与えてくれました。もし何か問題が起きたら、最悪の場合、フランスに戻れます。逆にフランスが合わなくても日本がりあます。その結果、「やれるところまでやろう」と思え、全力を尽くせるので、後悔することはありません。
この柔軟な精神状態は、自分のプロジェクトを進め、他人の目を気にせずに行動することに非常に役立ちます。
このような考え方を持つためにはハーフでいる必要はありません。例えば単に出身国にうんざりして、他の国を見て回りたいと思っている人などたくさんいます。しかし、ハーフは柔軟な精神状態を持つ、又は国境を越えることなどになれていることから、もっと簡単に変化に面することが出来ます。
第3部:アイデンティティの構築に関するより深い長所
ここでは、僕がハーフとして究極的に考える利点を紹介したいと思います。なぜ「究極」という言葉を使うのか?なぜなら、混血は人格の構築を増幅させ、加速させるからです。生まれてから死ぬまで、アイデンティティは僕たちを最初から最後まで支えるものです。
a) 人と出会うことに慣れます
いいえ、「第2部 b) 人と出会うことに慣れます」の繰り返しではありません。今回は、人との「出会い」の真の意味について探求したいと思います。

「人間は本質的に社会的存在である」とアリストテレスは説きました。私たちはつながり、私たち同士を観察し、評価します。これらの相互作用を通じて、私たちは絶えず他者から学びます。
ある日、記事を読んでいて、以下の宣言が印象に残りました:
「自分の友達は、私たちと異なるビジョンを持っていると良いと言われています。同じ価値観や視点を共有する友人は、私たち自身の反映に過ぎず、新しい視点を提供せず、常に同じ方向に向かわせるだけです。
一方、真の友人は私たちに挑戦し、対立し、自分自身のアイデアと率直さで接することで、私たちを補完します。こうして、より包括的に成長することができるのです」。
様々な出自やビジョンを持つ人々に出会うことに慣れていることは、自分の思考をより横断的に、より完全に、より深く構築することを可能にすることなのです。
b) バランスの取り方を学ぶ
若い頃は、自分の個性のさまざまな部分が前面に出てきます。大人になればなるほど、バランスが取れてきます。
僕はフランス人と日本人の血を受け継いでいるため、特定の点において自分を補完することができます。
例えば、フランス人としての側面は、他人の目を気にせず率先して行動することを学びました(これは日本では珍しい)。
しかしその一方で、自分の利益を優先する前に、集団の利益も考えることや、礼儀やマナーを守るのを日本は教えてくれました(これはフランスでは珍しい)。
しかしもっと分析を進めると、僕は別の要素では完成度が足りません。例えば、ラテン・アメリカにはあるような歌やお祭り、見知らぬ人に対する歓待の文化が僕には欠けています。
いずれにせよ、内面的なさまざまな要素をより自然に描き出すことができます。そのため、バランスが取りやすく、自己補完がしやすいのです。
*僕は長い間、日仏ミックスは完璧な融合だと思っていました。若かったかのでそう思っていました。完璧な融合というものもないし、他より優れた文化というのもないと、大きくなって分かりました。私たちは単に違うだけで、誰かより優れているわけではないのです。
c) 自己分析がしやすい
自分がいる国・環境によって、性格も声も価値観も変わります。意識的であれ無意識的であれ、自分の性格を常に適応させており、これは人間として本質的なものなのです。
成長するにつれて、僕は『客観的』に自分を分析・批判することを学びました。
説明しましょう。日本的な面が僕のフランス的な面を分析・批判することもできるし、その逆もできます。自分のパーソナリティの中で何が欠けているのかが明確になるのです。
例えば :
「彼は( 僕のことを言って )礼儀正しく、時間を守り、敬意を表している。僕のフランス人の性格にはそれがない。しかし、それにもかかわらず、彼は人間の不安定さによって引き起こされる柔軟性や危険性をもっと受け入れることを学ぶことができるだろう。
フランスでは、僕たちはもっと余裕を持って生きているし、もっとリラックスしている。私たちは完璧でなければならない機械ではない。1 分遅刻して謝るなんて、笑っちゃうよ」。
そして、日本人の一面がフランス人の一面に反応する:
「あなたの言う通りかもしれない。1分の遅刻は人生においてまったく重大なことではないし、一般論として、このような不安定さに対してもっと柔軟に対応してもいいことは認める。
しかし、限界はあるはずだ。例えば、僕はフランスデモの主義が理解できない。また、フランスでは列車の遅延が標準化されており、定時運行率は80%だけだ。もっと硬さが必要だ」。

まるで僕の人格の2つの部分が対話をしているようです。多重人格なのでしょうか。
もちろん、自分自身を客観視することは不可能だが、僕が強調しているのは、ハーフは人格の一要素から自分を切り離す能力に優れていることです。
結論:
これで、ハーフとしての人生の省察に関する記事は以上となります。
片方の母語を話さず、片方の家族を知らず、片方の国に行ったこともない混血の人もいます。また、混血の中には、半々、あるいは25/25/50の構成というハーフもいます。要するに、混血にもいろいろな度合いがあり、人それぞれ受け止め方が違うということです。
また、本日はハーフの省察のグローバルな要点だけについてを書いてきたので、フランス人と日本人の混血であること、そして特にこの2つの文化の融合について感じていることについて、精密な項目を展開することもできませんでした。このテーマについては記事を書いているので、遠慮なく読みにいってください:日仏ハーフってどんな感じなのか?
個人的に言えば、若いときにハーフでいることは簡単なことではありません。自分のアイデンティティを構築している最中、いろんな方向に行きすぎて、迷ってしまう可能性が高いのです。
なにより、両国の・自分の個性のどの部分を優先的に伸ばしていけばいいのか、そしてその部分を伸ばしていくのは正しいのかがわからなくなります。
迷うことは避けられません。しかし、これは普通のことであり、利点でもあります。幸運なことに、数多くの成長手段を自由に選択できます。
孵化する前に、時間をかけて様々な人格構成コンポーネントを迎え入れればいいのです。単に、これらの様々な要素を歓迎する時間が必要なだけなのです。
一度充実すれば、人格構成要素の安定した、幅のあるポートフォリオを組み立てることができます。
今後自分の構成要素を今度は深く発展させるための、しっかりとした基盤を手に入れたのです。
これはあくまでも、僕の見解であることを明確にしておきたいです。真理ではないし、みんなが好きなように解釈して欲しいです。
それどころか、これは僕が混血という存在から導き出した究極の結論なのです:
「真実などない。正しい価値観などない。生きるための基準も指針もない。誰もがありのままの自分でいることは自由だが、この世界に共存する違いを謙虚に考慮し、受け入れなければならない。僕はフランス人でも日本人でもない。僕は自分自身なんだ。」
一言:
この記事" ハーフとしての人生の省察 " を書こうと思ったのは、皆様は極端なハーフに日常的に出会う機会がほとんどなく、この状況を言語化することで、頭の中で何が起こっているのかを少しでも知ってもらえたら嬉しいからです。もちろん、混血の人はそれぞれ違うし、この考察は僕だけのものです。
この記事に関して言いたいことはまだ山ほどあります。遠慮なく、質問を送ってください!喜んでお答えします!
あなたはどう思いますか?ハーフにどんなイメージを持っていますか?また、この記事を読んでいる混血の人たちはどう考えますか?全く違う考えの人もいますか?
遠慮せずにあなたの考えを聞かせてください。このようなことを話すのはとても興味深いでしょう!
この記事を読んで楽しい時間を過ごしていただけたなら幸いです。
ありがとうございました!
ハーフとしての人生の省察 - Marc



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