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最低限の日常から生産的な生活への進化:主に田舎で育って学んだこと

  • 執筆者の写真: Marc
    Marc
  • 2024年4月13日
  • 読了時間: 11分

更新日:5月26日


はじめに最低限の日常から生産的な生活への進化


2005年に東京からフランスへ移住し、それ以来ずっとパリ近郊の田舎で暮らしています。パリに近いとはいえ、周囲には広大な田畑や牧場が広がり、朝には干し草の香りが漂い、馬や牛が見られる環境でした。都会の喧騒から離れ、自然に囲まれたこの場所での生活は、僕にとって大きな転機となりました。


この田舎での生活には美しい瞬間が多くありました。春には花々が咲き乱れ、夏には夜空に満天の星が広がり、秋には木々の葉が赤やオレンジ、黄色に染まる色の変化を喜び、冬には静寂と共に雪景色を楽しむことができました。


一方で、孤独に苛まれることも少なくありませんでした。2016年までは家族や友達が近くにいたので安心でしたが、友達が大学に進学し田舎を離れたとき、最初の変化が訪れ、孤独感が増しました。2018年以降、さらに孤独を強く感じるようになり、最初はそれに苦しんでいました


それでも、この孤独な時間が僕に与えた影響は計り知れません。最初は退屈で仕方がなかったその時間が、次第に自分自身と向き合う貴重な機会となりました。思考を浄化し、無駄な刺激や娯楽を排除することで、本当に大切なことに集中できるようになりました。


この記事では、その進化の過程を詳しく説明します。どのようにして怠け者から生産的な人間へと変わっていったのか、田舎での生活がどのように影響を与えたのかをお伝えします。



第1部: 新しい環境


  東京からパリ郊外の田舎に移り住んだのは2005年のことでした。

東京からパリ郊外の田舎に移り住んだのは2005年のことでした

最初のうちは新しい環境に適応するのが大変でした。フランス語が全く話せず、初めてフランスの学校に通うことになったとき、クラスの前で自己紹介をしようとするも、緊張のあまり泣き出してしまいました。しかし、先生やクラスメートの優しさと理解のおかげで、次第にフランス語を覚え、新しい友達もできるようになりました


2005年から2007年にかけて、新しい環境に馴染み、田舎での生活を楽しむようになりました。家族や友達に囲まれ、スポーツクラブにも参加していました。特にバドミントンのクラブは、新しい友達を作る場として大いに役立ちました。この頃は、田舎暮らしの孤独を感じることはなく、充実した毎日を過ごしていました。


2007年から2016年までは、常に誰かと一緒に過ごすことができました。友達も近くに住んでいたので、週末や放課後にはお互いの家に遊びに行ったり、一緒におやつを食べたりしていました。この10年間はあっという間に過ぎ、多くの素晴らしい人間関係を築くことができました。


この心構えが深まることで、徐々に最小限の努力で物事を済ませようとする性格が形成されていきました。例えば、学校では次の学年に進級するために必要な平均点が12点だった場合、その12点をギリギリで取得するという具合でした。つまり、最短距離/必要最低限の努力で目標を達成する能力を非常に早く身につけていたのです。


2005年から2016年までの間、このような性格によって自分に厳しくない一面がありました。スポーツでも学業でも、必要最低限の努力で満足してしまう傾向がありました。自分自身を極限まで追い込むことなく、常に余力を残してしまう状態でした。



第2部: 乱気流


しかし、2016年に大きな変化が訪れました。親せきが大学に進学し、地元を離れたのです。家には両親が残っていましたが、親せきとの日常がなくなり、大きな空虚感を感じました。親せきと過ごす時間がなくなり、一緒にゲームをしたり、喋ったり、マンガを読んだりする機会もなくなりました。


さらに、同じ年に学校も変わりま孤独感が一層深まりました。この時期、ネガティブで自己否定的な感情に支配され、前向きな行動を取ることができませんでした

ネガティブで自己否定的な感情に支配
ネガティブで自己否定的な感情に支配

この期間中、非常に興味深いことに気づきました。最初は時間を潰すために、テレビを見たり、間食を楽しんだり、ビデオゲームやマンガに没頭したりしていました。しかし、それが日常の一部になりすぎて、すでに飽和状態に達してしまい、これらの娯楽が僕を楽しませなくなっていたのです。


結局、娯楽は時折楽しむからこそ価値があるのであって、毎日続けるとその魅力を失ってしまいます。もうゲームをしたり、娯楽にふけったりする気が起きなくなり、本当に退屈していました。その退屈感は強烈で、よく覚えています


この体験については、次の章でこの退屈がどのように僕を助けたのかを説明するためです。現時点では、この感覚をどう活かすべきか分かりませんでしたが、少なくとも娯楽がもはや僕を楽しませない段階に達していたのです。


2018年になると、さらに孤独を感じるようになりました。今度は友達が大学の進学でいなくなり、田舎での生活の楽しみが減りました。この時期には、バドミントンクラブが唯一の社交の場となり、そこに行くことが心の支えとなりました。クラブでの活動は、単なるスポーツの場ではなく、笑い合い、ストレスを発散する大切な場所でした。


しかし、家に帰ると、しばしば何もすることがなく、無為に時間を過ごすことが多くなりました。何もすることがなくて意図的に眠りにつくこともありました。毎日が単調で、何かを変えたいという思いに駆られながらも、どうしていいかわからずに悩んでいました



第3部: 変化


2018年以降、友達がみんな大学のために村を離れ、僕も大学生活を始めることになりました。この時期は、精神的に成熟し始める重要な時期でした。もう子供ではなく、法的には大人として認められる年齢に達し、大学生活は将来のキャリアに直結するため、より真剣に取り組むようになりました。

大学生活を始めた2018
大学生活を始めた018

この変化の中で、自己憐憫を止め、被害者意識から抜け出すことを学び始めました。具体的な日付や年を特定するのは難しいですが、おそらく2018年から2020年の間に、そのような変化が徐々に進んでいきました。


大学への通学には片道1時間45分かかり、往復で3時間半の通学時間がありました。この長い通学時間をどう有効に使うかを考え始め、以前はゲームに時間を費やしていたのですが、代わりに本を読んだり、YouTubeで自己啓発や学習に役立つコンテンツを視聴したりするようになりました。


大学では、友達がほとんどおらず、非常に社交的ではありませんでした。ビジネススクールにいたため、多くのパーティーや交流イベントがありましたが、一切参加しませんでした。その結果、自分自身のための時間が増え、精神的なエネルギーが人間関係に吸い取られることなく、リフレッシュされた状態で自宅に戻ることができました。


そのため、バドミントンを楽しむ時間を持つことができ、帰宅後も早く寝て、十分な睡眠をとることができました。社会的に孤立していることが、自分の時間を自由に管理しやすくする利点に気づき始めました。


もう一つ重要な点として、18歳を過ぎてからは親が僕に責任を持たせるようになりました。これは良い意味で、移動やバドミントンのための費用も自分で管理するようになったのです。バドミントンのシャトルやラケットのガットの張替え費用、そして試合への移動費もすべて自分で賄わなければなりませんでした。この経験を通じて、自分で責任を持って行動する力を身につけることができました。これを実現するためにアルバイトを始め、「経済的にも自立」する必要がありました。これは非常に良い経験だったと思います。


また、この時期には自転車にも多く乗るようになりました。移動手段が限られていたため、自転車は自然な選択肢となりました。自転車を使って移動することで、より一層自分の時間を管理する力がつきました。


2018年から2020年の間は、自分の時間を持つこと/自分で責任を持って行動する力の良さを実感し始めた時期でした。しかし、この時期はまだ積極的で生産的ではなく、むしろ移行期間といった学びの時期でした。



第4部: 成熟


2020年にはコロナウイルスのパンデミックが発生し、人生に大きな影響を与えました。両親が日本に留まる中、一人暮らしをしており、コロナウイルスの孤独感に直面しました。しかし、その時の経験が大きな変化をもたらしました。既にこの件については、「人生の分岐点:最も成長した時期は、コロナウイルスの2年間でした」記事と、「死に直面した経験」についての記事を執筆しています。これらの記事を読んでいただくと、僕の変化をより深く理解していただけると思いますので、是非ご一読ください

コロナウイルスの孤独感に直面
コロナウイルスの孤独感に直面

簡単に要約すると、その時、心身共に死にかけた経験を通じて、人生の貴重さを痛感しました。この経験が、一度死んだようなものであり、その結果、人生を真剣に捉え直すきっかけとなりました。それ以来、完全に新しい次元に変わりました。


心身共に死にかけたその経験は、人生で辛い時期でしたが、その瞬間があったからこそ、本当の意味で「生きる」ということを実感することができました。まるで動物のように、本能的に自分の命を守るために行動しなければならないと感じたのです。この経験を経て、単なる人間としてだけでなく、動物としても進化しました。


その後、物事に対する積極性が大幅に向上しました。一度しかない人生を無駄にしないために、待つのではなく、自ら行動を起こさなければならないと強く意識するようになりました。この気づきから、最短の道は実は最も困難な道であることを理解しました。


具体的には今、最大限の努力を短期間に集中して行うことで、後に大きなリターンを得ることができると考えています。つまり、最も楽な道は実は最も厳しい道であり、すぐに楽をしようとすると、後でより大きな負担を抱えることになるのです。この考え方を持つことで、自分を効果的に動かし、プロダクティブな生活を送ることができるようになりました


まとめると、僕は常に「怠け者」であり続けるかもしれませんが、その「怠け者」の精神を利用して、最短で最も効率的に目標を達成するために、最大の努力を惜しまないようになりました。この心構えが、今の僕へと導いてくれたのです


最後に以前第2部で述べたように、一時期、どんな娯楽も楽しめなくなり、退屈していた時期がありました。今日は、その退屈と孤独をどのように活かしたかについてお話しします。


住んでいたのは田舎で、周囲の友人たちはみんな大学進学のために去っていきました。その結果、社会的なつながりも少なくなり、娯楽も楽しめなくなりました。しかし、この状況が大きな学びとなりました。なぜなら、その結果、エネルギーと集中力が研ぎ澄まされたからです。


外部の人間関係や家庭内の娯楽が僕を煩わせなくなったことで、基礎的に重要なことにだけ集中することができるようになりました。何かを始めるときに言い訳ができない状況が生まれたのです。


その結果、このブログを立ち上げるのに多くの時間を確保することができ、また、バドミントンにも集中し、2024年についにシングルスでフランスのtop500に入ることができ、数え切れないほどの一人旅をし、さらに、将来的に日本への移住計画にも注力できました。


要するに、言い訳ができない状況、孤独で娯楽がない環境は、自己成長と自己集中の力を与えてくれました。この集中力がなければ、多くのことを達成できなかったかもしれません



結論


  幼少期は家族に囲まれ、甘やかされながら最低限の努力で済ませていました。2016年から2018年の間、親せきや友達が田舎を離れる中で、孤独を感じるようになりました。その後、責任を負う必要が出てき、バドミントンやキャリアを築き、自分の情熱を追求するようになりました。しかし、2020年にコロナウイルスが襲来し、心身共に死にかけるほどの試練を経験しました。この経験を通じて、自分の人生に対する真剣さを痛感し、行動する決意を固めました。さらに、周囲の誘惑が少ない環境で過ごすことに慣れ始め、環境に影響されずに最大限の集中力を発揮することの大切さを学びました。


現在でも基本的には怠け者ですが、最も短く、最も実り多い道は、最も困難で精神的・肉体的に厳しい道であると理解しています。この理解をもとに、自分を奮い立たせて努力を続けています


主に田舎で育ったことを全く後悔していません。田舎には他にもたくさんの利点があります。家に帰ると、鳥のさえずりや風の音が聞こえ、静寂に包まれた中で過ごすことができるのは本当に幸せです。確かに町までの移動には時間がかかるかもしれませんが、一度家に着けば、その静けさと安心感は格別です。

この記事を一言で要約すると、以前は一人でいることが嫌いでしたが、コロナの経験を経て孤独を楽しみ、自分自身と向き合う力を身につけました


以上「最低限の日常から生産的な生活への進化」記事でした!



最低限の日常から生産的な生活への進化:主に田舎で育って学んだこと - Marc

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