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雪の新潟県、祖先の記憶を巡る旅

  • 執筆者の写真: Marc
    Marc
  • 3月18日
  • 読了時間: 10分

更新日:4月25日

序章 – はじめに


日本のルーツは新潟にある。でも、フランスで育った僕にとって、新潟はずっと遠い存在だった。


これまで訪れる機会もなく、日本に来た理由のひとつも、"自分の日本人としてのルーツを知りたい"という思いだった。自分の中にある日本の部分がどう形成されてきたのか、それを知るためには、やっぱり現地に行って、人と話して、食べて、旅してみるのが一番だと思った。


僕の中には50%の新潟の血が流れている。でも、それがどういう意味を持つのか、実感したことはなかった


特に冬に行きたかったのには理由がある。昔から聞いてきた新潟の話は、ほとんどが冬のものだった。長い冬を乗り越えることで、人々は忍耐強く、たくましくなる

昔から聞いてきた新潟の話は、ほとんどが冬のものだった
昔から聞いてきた新潟の話は、ほとんどが冬のものだった

でも、その先には春があり、待った分だけのご褒美がある。豪雪が育む米、酒、魚――すべてが、新潟の厳しい冬を超えてこそ生まれるもの。そういう文化や生き方を実際に見て、肌で感じたかった


そして、新潟といえばスキーや山の温泉が有名だけど、今回の旅では新潟の"海沿い"にフォーカスすることにした。ローカル線に乗って、海沿いを走る電車の窓から、日本海に沈む夕日を眺めること。ただそれだけのことが、ずっと夢だった


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第一章:冬の旅の始まり – 上越へ 雪の新潟県、祖先の記憶を巡る旅


出発は東京、夜の12時。深夜バスに乗り込み、新潟県の長岡へ向かった。到着は朝の5時半。辺りはまだ真っ暗で、駅は閉まり、電車も動いていない。新潟に来るのは10年ぶりで、降り立った瞬間から不思議な感覚に包まれた。


まず驚いたのは雪の量だった。東京にはない真っ白な世界が広がる。静寂の中で、唯一聞こえるのは雪を溶かすために道路に設置されたスプリンクラーの水音。新潟では「消雪パイプ」と呼ばれるこのシステムが普及しており、地下水を使って路面の雪を溶かしている。この環境音が旅の始まりを実感させてくれた。

真っ白な世界

朝6時40分、ようやく始発の電車に乗り込み、上越へ向かう。窓の外では夜明けがゆっくりと訪れ、景色は一面の銀世界久しぶりに見る新潟の雪景色に、思わず胸が高鳴った。静けさに包まれた車内、東京の喧騒とはまるで違う空間だった。

上越に到着したのは8時半ごろ。駅を出ると、ものすごい強風が吹き荒れていた冬の新潟の厳しさを改めて実感する。冷たい風が体に突き刺さり、砂浜へ向かおうとするも、前に進むのがやっとの状態。それでも、これこそが求めていた冬の新潟の姿だった。


荒れる日本海の波を見つめながら、冬の自然を全身で感じる。そして、そのまま1時間ほど海岸沿いを歩き続けた。誰もいない静かな道、どこまでも広がる冬の海。時折、写真を撮りながら、この瞬間を記録する。

荒れる日本海の波

やがて、山の中にある「上杉謙信公供養塔」へ向かった。戦国時代の武将、上杉謙信を祀る場所であり、歴史的にも重要なスポットだ。彼は「義の武将」として知られ、戦の際には敵味方を問わず負傷者を救ったり、戦のない世を理想とした人物だった。


そこから上越の町を散策した。静かな街並みを歩きながら、地元の食堂に立ち寄り、美味しい郷土料理を味わった。シンプルだけど温かみのある料理で、旅の疲れも少し癒された。ゆったりとした時間が流れ、東京の忙しさとはまるで別世界のようだった。


その後、高田城へ向かった。この城は江戸時代に建てられ、特に春には桜が美しいことで有名だ。徳川家の一族である松平忠輝によって築かれたが、彼は後に改易され、この城の歴史は短いものとなった。

高田城

それでも、現在も立派な三重櫓が残っており、城跡公園として多くの人に親しまれている。雪化粧をした城の姿はとても美しく、しばらく見入ってしまった。


気づけば、時刻はすでに16時。日本海に沈む夕日を眺めるため、再び列車に乗り込んだ。窓の外には、強風に揺れる荒波とともに、ゆっくりと沈んでいく夕日が広がっていた。その美しい光景を見ながら、この旅の目的の一つが達成されたことを実感した。


その後、18時ごろに長野へ到着。長い一日だったが、達成感に満ちていた。疲れた体を休めるために、ホテルへ向かい、シャワーを浴び、21時には就寝。



第二章 – 弥彦:山と海が織りなす絶景


朝、長岡で目を覚ました。長岡といえば、夏の壮大な花火大会が有名だが、冬には温泉やスキーも人気がある。しかし、今回の旅の目的はそれではなかった。早朝の長岡の町を少し歩き、雪化粧した信濃川の流れを眺めた後、すぐに次の目的地へと向かった

雪化粧した信濃川

次の目的地は弥彦。ここでまず伝えておきたいのは、電車の本数が限られていること。もし弥彦を訪れるなら、時刻表をしっかり確認しておいたほうがいい。一本逃すと、1時間近く待つことになる。



弥彦山からの絶景


弥彦駅に到着すると、まず向かったのは弥彦神社……ではなく、ロープウェイ。一般的には神社から参拝する人が多いが、今回は先に山頂を目指した。


ロープウェイに乗ると、徐々に標高が上がっていく。雪に覆われた山々の間を進み、やがて視界が開けると、目の前に広がるのは圧巻の景色だった。


弥彦山の特徴は、その立地にある。ちょうど日本海のすぐそばにあり、山頂からは海と陸の両方を一望できる。片側にはどこまでも続く日本海が広がり、天気が良ければ遠くに佐渡島までも見渡せる

天気が良ければ遠くに佐渡島までも見渡せる

そして反対側には、新潟の広大な平野が広がり、黄金色の田畑が雪に覆われた姿が美しく映える。さらに遠くには、越後の山々がそびえ立っていた。

新潟の広大な平野

視線を戻すと、山の中腹には巨大な赤い鳥居が見えた。まるで山を包み込むように立つその鳥居は、弥彦神社の象徴的な存在であり、山全体が神聖な場所であることを示しているようだった。



弥彦神社の荘厳な佇まい


山の景色を十分に楽しんだ後、再びロープウェイで麓へ降り、次に向かったのは弥彦神社。新潟屈指の歴史を誇るこの神社は、多くの参拝者が訪れる由緒ある場所だ。

弥彦神社

境内へと足を踏み入れると、そこには厳かな雰囲気が広がっていた。雪に覆われた参道を進むと、目の前に立派な本殿が現れる。弥彦神社は天香山命(あめのかごやまのみこと)を祀っており、古くから「越後一宮」として人々の信仰を集めてきた。


朱色の鳥居と雪の白のコントラストが美しく、どこを見ても絵になる風景だった。手を清め、静かに手を合わせる。旅の途中でこうして立ち止まり、心を落ち着かせる時間を持つことができるのも、日本の旅の醍醐味かもしれない。



「海府ふれあい広場」


弥彦を後にし、新潟市へ向かった。予定通り16時ごろに新潟駅に到着し、さらに北へ向かう電車に乗った。目的地は「海府ふれあい広場」


これで日本海に沈む夕日を見るのは二度目だ。前日にも上越でその美しい光景を眺めていたが、それでも海岸線に広がる茜色の空は何度見ても飽きることがなかった。列車の窓からその景色を眺めながら、心の中で静かに一日を振り返る。

列車の窓からその景色を眺め

電車に揺られながら、窓の外の景色が少しずつ茜色に染まっていく。何も考えず、ただ夕日が沈んでいく様子を眺める。日々の忙しさを忘れ、時間の流れに身を委ねるひとときだった。


やがて海岸に到着し、潮風を感じながら沈む太陽を見つめた。「旅の目的なんて、こういう瞬間のためにあるのかもしれない。」そんな思いが、ふと心に浮かんだ。



一日の終わり、新潟へ


新潟に戻った頃にはすっかり夜になっていた。翌日は朝早くから佐渡へ向かうため、無駄に夜更かしせず、早めに宿へ戻ることにした。



第三章 – 冬の佐渡島と新潟の夜


朝の始まり - フェリーの一小時半待ち


早朝、新潟の港についた。目的地は佐次島。しかしなんと最初のフェリーが中止になったという。いきなりの1時間半待機だ。が、この小さな誤策も旅のいたずらだと思い直して、海辺を散歩して気持ちを替えることにした

海辺を散歩

ようやくフェリーが出海したのは9時前。桜色に染まった天、青く光る海。風が気持ちいい。あっという間に一時間で佐次島に到着した。

一時間で佐次島に到着

佐次島での最初の一歩 - 金と歴史の世界


最初に向かったのは、つい最近、世界文化遺産に登録された佐渡金山。かつて日本最大級の金の産出量を誇り、江戸時代から昭和まで続いたこの鉱山は、日本の歴史と経済に深く関わってきた場所だ。ここで採れた金は江戸幕府の財源となり、江戸の発展を支えたと言われている。

世界文化遺産に登録された佐渡金山

坑道に一歩足を踏み入れると、ひんやりとした空気と、石壁に残るノミの跡が当時の労働の過酷さを物語っていた。江戸時代の採掘現場を再現した人形たちが配置され、当時の鉱夫たちがどのように金を掘り出していたのかを感じ取ることができる。


薄暗いトンネルの中を進みながら、400年もの間、ここで何千人もの人が汗を流していたことを想像すると、ただの観光地ではなく、生々しい歴史の一部に触れている感覚になった。

薄暗いトンネル


「ラピュタ」の実在 - 北沢遷沼遷残機構


次に足を運んだのは、誰もが叫ぶ「現実のラピュタ」、北沢遷沼遷残機構。一睡の中に飛び込んでしまったような異端な景色。


倒壊した鋭角のコンクリートが、本当に世界の残念を訴えかけているようだった。

現実のラピュタ
現実のラピュタ

午後は佐渡の海岸沿いを散策。冬の海はどこまでも静かで、波の音だけが響く。この穏やかさが心地よく、つい時間を忘れて歩き続けた。


そして、そろそろ帰りの時間。バスで港に戻り、フェリーに乗る。16時発の便。


正直なところ、佐渡島は1泊してじっくり回るのが理想だと思う。車を借りて、島の隅々まで巡るのがベスト。でも今回は日帰りだったので、限られた時間の中で最大限楽しみました。



新潟の夜:酒と新鮮な魚


新潟港に着いたのは17時過ぎ。ここで、もう一つやりたかったことがあった

新潟港に着いたのは17時過ぎ

新潟は「日本酒の聖地」として有名で、美味しい魚と一緒に地酒を楽しめる店が多い。というわけで、夕食は寿司と日本酒の組み合わせ。新鮮な魚、ふわっとした米、そしてキリッと冷えた地酒。最高の組み合わせで、もう言葉はいらなかった。


食後、バスの時間まで余裕があったので、思い切って海まで歩いてみることにした。新潟の夜は静かで、人もまばら。1時間ほど歩くと、目の前に広がる真っ暗な海


遠くには、佐渡島から出航する船の明かりが見える。見上げると満天の星空波の音以外、何も聞こえない

佐渡島から出航する船の明かり

ここにいると、時間が止まったような感覚になる。東京にいると、いつもどこかで音が鳴っている。人の声、車のクラクション、電車の走る音…。そんな日常から離れ、完全な静寂に包まれるのは久しぶりだった。「静かで何もない場所」それは、何よりも贅沢な時間だった。


そして、ついに帰る時間。夜行バスに乗り込み、東京へ。次の日は仕事。現実に戻る瞬間は、いつだって少し寂しい。


でも、今回の旅で得たものは大きかった。冬の新潟、冬の佐渡。静かで、広くて、どこか懐かしい場所だった。



結論 – 新潟で学んだこと


今回の旅は、運命を感じるために訪れた新潟冬の新潟をじっくりと味わい、自分のルーツに触れることを目指していた


実際、新潟には以前に何度か訪れたことはあったが、こんな風に旅行としてじっくりと過ごすのは初めてだった。だからこそ、ただ観光するだけではなく、少しでも新潟の人々の暮らしや価値観を理解したかった


彼らは何を大切にし、どんな風に日々を過ごしているのか?何を食べ、どんなことを美しいと感じるのか?なぜこの土地の人々はこういう考え方を持っているのか?僕なりに感じ取ることを目的にした旅だった


もちろん、実際に足を運んでみて、たった三日間の滞在でその全てを理解できるわけではない。新潟の人々や文化を本当に深く知るには、もっと長い時間をかけ、日々の生活を共にする必要があるだろう。それでも、少なくともその表面に触れることはできた。それだけでも、大きな意味があったと思う


新潟で一番強く感じたのは「忍耐」という価値観だった。冬の新潟は厳しく、雪が積もり、寒さが身に染みる。でも、この厳しさの先には、必ず春が来る。その春を迎えるために、じっと耐えながら、日々を積み重ねていく。時間の流れが、この土地に深く根付いている気がした。


対照的に、新潟の食べ物は豊かで、自然は穏やかで、人々も静かで落ち着いている。この土地全体が、ある種の「平和」を体現しているように感じた。謙虚で温かい


この旅を通して、自分のルーツに触れることができて本当に良かった。新潟の風景を見て、人々と少しだけ話し、冬の厳しさと穏やかさを体感することで、何かが少しクリアになった気がする



雪の新潟県、祖先の記憶を巡る旅 - Marc





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